Horace Silver & The Jazz Messengers シルバーとブレイキー、初代JMのチームワーク。

 このアルバムは1954年と1955年に別々に録音されたもの。実はジャズ・メッセンジャーズは55年に旗揚げされたので、この時まだJMという存在はありませんでしたが、1956年にLP化される時にシルバーのリーダー作ではありますが、ジャズ・メッセンジャーズの名前を織り込む事になりました。初代JMメンバーによる貴重な作品になりました。
  

Horace Silver & The Jazz Messengers

  
 ホレス・シルバーはコネチカット州ノーウォーク出身。父はアフリカ系ポルトガル人、母はアイルランド人とアフリカの混血のアメリカ人で、母は聖歌隊でゴスペルを歌ってたそうです。シルバーのルーツにはそんなアフリカやラテン、ブルース、ゴスペルのルーツがあり、このアルバムは8曲中6曲がシルバーの書き下ろしですが、あちらこちらにそんなフレーバーが散りばめられているのです。
とは言っても元々全員対等という触れ込みの元にジャズ・メッセンジャーズは旗揚げされたのも納得の、シルバー節がいい塩梅で染み渡っていくように、全員がグイグイ絶妙なバランスで攻め立てるのですがチームワークは決して失わない。口ずさみたくなるようなキャッチーなフレーズが曲の芯を捉えているのでバラバラにはならないですね。
  

 しかし、その後1年程でグループは解散。シルバーとブレイキーは分裂してしまいます。シルバーはメンバー全員を引き連れ、ブレイキーはJMという名前を引き継いで。理由は宗教の違いとか色々と語られておりますが、2人のリーダーはそれぞれ別の形で、ジャズの歴史を創っていくのでした。
もしこの時ずっと一緒に活動をしていたらとどうしても考えてしまいますが、その後の彼らの残してく名曲や新人を育てるリーダーとしての手腕を見る限り、結果最良の決断であったのかも知れませんね。
  

 ちなみにシルバーを一躍有名にしたとも言える最初のヒット作、6曲目の『The Preacher』はプロデューサーのアルフレッド・ライオンがどうしても気に入らず、別の曲に差し替える寸前までいったとか。
でもその大ヒットのお陰で当時財政難に苦しんでしたブルーノートを潤すことになったというのは有名な話。

Horace Silver & The Jazz Messengers
ホレス・シルバー & ザ・ジャズ・メッセンジャーズ

 Blue Note 

  1. Room 608
  2. Creepin’ In
  3. Stop Time
  4. To Whom It May Concern
  5. Hippy
  6. The Preacher
  7. Hankerin’
  8. Doodlin’

Horace Silver (p)
Kenny Dorham (tp)
Hank Mobley (ts)
Doug Watkins (b)
Art Blakey (ds)

Produced by Alfred Lion
Recorded by Rudy Van Gelder

Recorded 1954.11.13 & 1955.2.6

Horace Silver & The Jazz Messengers

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この記事を書いた人

海と山と畑に囲まれて、糸島の片隅で音楽を聴いています。中古オーディオとレコードの買取、整備、販売を仕事としています。オーディオマニアではありません。ただの音楽好きです。

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